うらそえ日記

奇談小説家・早見慎司(早見裕司)の公式ブログです。
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お釈迦様でも

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     いま、書庫を探す気力がないのですが、ブルース・スターリングの「ニューロマンサー」の冒頭で、「港の空の色は、空きチャンネルに合わせたTVの色だった。」という(はずの)表現があって、うまいことを言うものだ、と思いましたが(千葉ですね、ちなみに)、さすがのスターリングも、こんなに早く、空きチャンネルのTVが単なる黒色になるとは思っていなかったでしょうね。いや、敢えてそう表現する「手法」も、あるにはあるんですが……。
     私はSFを書きませんが、SF作家は大変だなあ……と思っています。
     もっとも、これはSFに限ったことではないので、さる高名なミステリ作家の作品に、アリバイを作るために「自動車電話から電話をかける」、というのがありまして、ちょっと意識が飛んだのですが(嘘)、時代に寄り沿った小説の場合、風化の可能性は非常に大きいですね。
     たとえば、水淵季里の場合、遊佐未森の「僕の森」が好きだ、という基本設定は、絶対に崩したくない、というのがありまして、そのため、周りの設定を替え続けざるを得ない、という問題が、ややこしいことになっています。
     ただ、どう考えても、小室サウンドや、ヒップホップの好きな季里というのは考えづらくて、いまでは、単なる変人になりつつあるのですが、私にとって、譲れないのは遊佐未森やPSY・Sなのです。
     季里の小説に、同時代性を憶える方には、ぜひ、小説を買って下さい、と言うことになります。それ以外、彼女のような、時代と関係のない子を、活かしておくことはできないからです。


     
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    2000のパターン

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       友人の同業者から「都市伝説(注:某陰謀論者の言う「都市伝説」ではなく、ブルンヴァンのほう)かもしれないけど……」と教えてもらった話なんですが、ハリウッドには、古今東西の物語のパターンを2000に分類したパターン表があって、それを関係者が使い回している……という噂があるのだそうです。
       少ない、と思われるかも知れませんが、物語というのは、たいてい2つか3つのパターンを掛け合わせたり盛ったり、でできていくので、2000のパターンを2つ掛け合わせると、4百万。3つ盛ってみると、80億です。
       具体的に、掛け合わせた例を思い出してみると、古い話ですが、「ロボット」×「空手アクション」×「ロミオとジュリエット」でできたのが、アニメ「闘将ダイモス」、と、辻真先先生が著書の中で書いていらっしゃいます。「空手アクション」、はなかったかな。アクションは多くの場合、脚本家には関係ないですから。
       前々から聴いているんですが、未だに確認が取れない話に、「ハリウッドには脚本製作ソフトがある」、という噂もあることですし、2000のパターンも、ないとは言えません。
       逆に言いますと、頭をひねってようやく思いついた物語のパターンは、どこかで誰かが書いているなんて、当たり前だ、ってことです。ラノベがキャラ小説になっていったのも、「そういうこと」なんです。
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      句読点

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         私は極端な性格ですので、過剰か過少のどっちかになってしまいます。
         普通に書け、と言われても、こだわりがじゃまをすることも、多々あります。
         句読点も、その問題のひとつです。
         私の小説に関する評の殆どが、「句読点が多すぎる」なので、「終夜図書館」を書いてみました。ここがまず、極端ですね。
         で、今度は「句読点が少なすぎる」になりました。
         もちろん、意図的なものであることは、ご説明した通りです。
         ただ、これは読者にも読めるだろう、という目算はありました。なぜかというと、音読してみているからです。実際に、「句読点が少なすぎるので苦手意識があったが、読んでみるとそうでもなかった」、というご感想も、複数、いただいております。ありがとうございます。
         ブレスを指定するか、しないか、他のことを優先するかは、私の場合、常に問題です。どちらかというと、編集者には、「句読点が多すぎる」、と言われますが、これは、人物の肺活量を考えて、打ってみています。
         最近、少し考えが変わって、句読点を減らすようにしているのですが、その瞬間瞬間に、私は私を裏切っているような、気がします。
         まあ、世の中には、西村京太郎先生という、一文節、一読点で、ほとんどを、書いている、人も、いらっしゃるので、私なんかはまだおとなしいほうだ、と勝手に考えているんですが。
         結論としては、今後とも、句読点にこだわっていこう、という、ありきたりなものですが、私にとっては重要なことではあります。
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