TV「吸血姫美夕」大昔語り・9
『早見裕司』
これが僕は面白いなぁと思うんですけど、最終話っていうのは、あれは私が初めて頭使ってる回なんですね、後は悪く言えば書き流してるっていうか、感覚だけで書いてるんですけど、最終話は、あれはガッチリ総ての意味を考えて書いているんで、私の中には正解がちゃんとあるんです。つまり、散文詩的なっていわれた時に、一種前衛みたいなモノでポンポンやっていくんだったら、ガッチリストーリーラインが固まってて、作者の解釈が通ってなければ、出鱈目になっちゃうわけですよね。
無意味にポンポン飛んじゃダメだよねってコトで、あれはもうガーっと全部、監督と初めて、全部、こっちが質問して、アレしたのは。ただそれが、表現の上で、多義的に解釈できるようになっているのは、あれは、見て私もビックリしましたけどね。
『TOMCAT』
じゃあ、やっぱり、早見さんが思い描いていた、直線的なストーリーライン通りには絵にはなってないって形ですか?
『早見裕司』
いや、ただね、シナリオと一字一句違わないんですよ。
『TOMCAT』
それで、意味をはぐらかしていると謂うか、多義性を持たせていると。
『早見裕司』
うん、それをね、自分でどうやってやったのか、判らないんです。あのころはもう、僕、身体ぶっこわれてましたし、あんなコトやってるもんですから、だから、書かされちゃったって気がしますわな。ただあの、語弊のある言い方ですけど、前衛のファンのヒトが書くと、とにかくなんかボンボン飛ばしゃあいいんだろうっていう感じになるけれども、骨格をキッチリ決めてないと、崩しようがないですよね、だからまず、骨格は決めたんです、で、それを書いて行く上で、生理的に飛ばして行ってるんですね。
『TOMCAT』
とりあえず、頭の中に物語はあるけれども、ある種、多義性を持たせたり、或る言葉を抜いたりとか、そういう作業で....。
『早見裕司』
それが表現だろうなという。
『TOMCAT』
じゃまず、自分の頭の中にある物語を語りつつもそれを韜晦するような作業も同時にって形ですかね。
『早見裕司』
....に、なってたんでしょうね。それはもう、26話、TVでは25本、来たから出来たコトで、最初の頃は忠実に時間軸をなぞって書いてたのが、それは監督の要望があり、いろんなコトを言われるワケなんですよ、で、ポンポンポンポン言うんで、それをどうやって全部取り込むか。ただアレ、いろいろ、要らんこと遊んでるんですけどね、そのつげ義春の奴だって、別に考えてなくって、川を渉るってのをとにかくやろうと。
『TOMCAT』
というのは?
『早見裕司』
う〜〜〜〜ん、なんなんでしょうね?(笑)
『TOMCAT』
やっぱりこの「川を渉る」ってのはイメージなんですか。
『早見裕司』
イメージですね。で、それをやった時に、ふっと想い出して、川があって、監督、石井輝男が好きだったら、こりゃつげ義春にしなきゃいけねえな、と。
『TOMCAT』
そこで紅い花であると?ああ、上手くハマったじゃん、みたいな感じですか。だから、ああいう話って、確かに少女吸血鬼の話では出ないですよね、何故出ないのか不思議なんですけどね、隠喩になっているのかと言えば、触れられていないというコトが多いですよね。だから要するに、吸血鬼なんだと、で、少女で時間が停まったんだと、で、紅い花なんだよって話をしたらですね、それはやっぱり、血が出たり入ったりするワケですから、やっぱその辺は避けて通れんだろうと、なんか意味附けするなり、或る種論考を加えるなりするのが、少女吸血鬼を扱う際の、なんか避けて通れねえモンだろうってところで、ああいう描写が出てきたんで、おおなるほど、ポンみたいな感じだったんですけどねぇ。
『早見』
その問題、他の作品では出てきませんか。いや、勉強不足で申しわけありません。